遠藤周作『海と毒薬』
こんにちは、今年ももう明日で終わりですね。
今回は文芸の紹介になります。
というのも、文芸も芸術なので紹介していきたいと思っていたのと、触れた美術の紹介をしようと思ってましたが、かなり前の話になるのでよろしくないかなと思い、今回は文芸紹介にしました。
遠藤周作『海と毒薬』
私の文芸読書デビュー1作品目です。
ずっと学術書とか教養新書ばかり読んでたので、地味に初の文芸でした。
戦時中の米軍捕虜解剖事件をモチーフにしたフィクション作品です。
生体解剖事件は実際にありましたし、モデルがあるのと、遠藤周作の書き方の妙か、ノンフィクションのようにも感じられます。
実際ノンフィクションだと思った人もいたそうです。
この作品は導入から素晴らしかったです。
あるサラリーマンが郊外に引っ越して、不気味だが腕のいい医者に診てもらう所からスタートします。
この医者が生体解剖事件に加わった一人で、次章から主人公として展開されます。
そのため、生体解剖事件に加わることは確定した状態で読み進めて行くので、辛い展開が続いていきます。
また、同僚の医師の視点、看護師の視点と主人公以外の視点でのバックボーンも途中で描かれているため、後に同僚の医師が言っていたことが、そういう背景があったからなんだなと繋がったりするので面白い。
そして、とても日本人らしさが出ていて、これがノンフィクションだと思われる要因かなと思う。
主人公は精神的に参っているタイミングで、同調圧力のような空気になって参加してしまう辺り日本人らしい。
そして、神なき日本人の罪の意識の無さ、というテーマがある通り、解剖することに対して罪の意識が無い。
そもそもあれば参加しない。
個人的な解釈として、この行為はハンナ・アーレントの悪の本質に近いと思っている。
ハンナ・アーレントはアイヒマン裁判を通じて、悪の本質とは他者の立場から考える事が出来ない事だと言っているが、主人公も解剖される捕虜の立場から考えれば参加しない選択ができたであろう。
これは、主人公が「どうでもいい」状態になり、そういった思考が無くなった時点で本質的な悪だとも思える。
また、遠藤周作自身キリスト教徒で、他の作品でも神について触れることが多いが、共通して神の不在を描いているように思える。
日本人は無宗教が多いが、つまりは神の怒りを恐れて逸脱した行為をしない、ということはなく、どちらかというと社会的制裁が怖いから逸脱した行為をしないのである。
とても辛い作品だが考えさせられるし、実際はドラマのある作品だと思う、是非読んでみてほしい。
始めて文芸の紹介をしているのでまとまりがなく、とても読みにくい終わり方になってしまった。
ネタバレもしないように、だとか、他の視点の紹介もしたら文字数が、とか考えていたら全然まとまらなかった。
次回書くときはもう少しフォーマットとか参考にして作ります。
河口湖美術館 『描かれた女たち展』
お久しぶりです。
毎週書くと言っときながら3週間も空いてしまったため反省してます。
実際、書く暇は無かったけど、ネタのストックはたくさんあるので、そういう時に備えていくつか下書きしとくべきだなと後悔してます。
描かれた女たち展
さて、よくある中身のない反省はさておき、今回は河口湖美術館の『描かれた女たち展』について。
女性モチーフの絵画が83点も展示された企画展だ。
今まであまり女性モチーフの絵画には触れてきていませんでしたが、今回触れてみて感じることが色々あった。
そもそも、極端な話女性の裸体を見るというのは普段恥ずかしくて目を逸らしてしまうものだ。(小心者の僕だけかもしれないけれども。)
しかしながら、絵画という芸術を媒介して女性の裸体を見た場合、なんら恥ずかしくないどころか、芸術として受け入れられる。
そもそも、ここで受け入れられるということ自体がとても個人的には面白い。
普段女性をまじまじと見ることはありませんし、いざ見たとしてもきっと思わないであろう芸術的な女性美を見ることが出来た。
森本草介さんの「微唾の時」という写実画が美しかった。
写実こそリアルに寄っているので上記のように目を逸らしそうだけども、やはり芸術として細かい布のしわから何までをまじまじと見れた、そもそも女性をまじまじと見る機会はこういう所でしかないだろうとも思う。
また、メモをし忘れてしまったので作者名や作品名が出せないが、抽象画で、塗り重ねで立体的になっている線のような作品があった。
間違いなく、その抽象画は女性だったが、僕がそれを見て女性と認識したのは曲線的な部分であった。
これはステレオタイプかもしれない、思えば曲線的であったことで何故女性をイメージできるのか、意味が分からない。
何故、女性は曲線的なイメージがあるのだろう、様々考えさせられる作品だった。
他にも、大津英敏の『ひとり』という作品も惹かれる部分が多かった。
母親が奥で寝ており、手前では子供が椅子で一凛の花を持ちながら座っている。
この作品において個人的にポイントだと思うのは、子供が見つめている先が母親ではないところだった。
そして、母親は母親で子供に背を向けて寝ている。
僕はそこに本質的な孤独を感じる。
例えば親が亡くなったとしても愛していたならば墓参りに行くのと同じで、愛しているならば、子供は親を見つめているはずだと思う。
愛の不在こそが真の孤独なのかもしれない。
ただ、一点、そうなると一凛の白い花を持っていたことが気になって仕方ない。
花が分かれば花言葉などでなにかヒントは得れたであろうが、そこまでの学は無かった。
今まで女性絵画に対する興味はほぼ無かったが、やはり何事も触れてみることだと再確認するいいきっかけになった。
また、曲線美的なイラスト以外にも、『ひとり』のような考えさせられる作品や、キュビズムなどもあり、女性絵画のみではあるが様々な分野の絵画に触れることが出来て満足だった。
金沢駅
金沢駅
順番が逆な気がするが、今回は金沢駅の感想を書いていこうと思う。
個人的に、3連続で旅行記録のような感じになっているのは好ましくなく、あれ以来あまり建築に触れていない証拠のように感じる、反省すべきだろう。
金沢駅の設計は白江龍三という建築家だ。
特徴的なのはやはり鼓門と呼ばれる大きな門と、その後ろのもてなしドームだろう。
鼓門にはトガサワラという木材を使用している。
鼓門の大きな柱の中には排水管があるため、雨水処理はそこでしているのだろうか。
もてなしドームは雪や雨を遮るために作られた鉄骨とガラスの大空間。
単純に大規模ですごい、また、ほぼ外と変わらず光が入るので明るいが、天候から人々を守ってくれている。
この日はたまたま少し雨が降っていたため、鼓門を通り過ぎると濡れる状態だった。
そのおかげか更に鼓門の外と内部空間が明確に分かれているように感じた。
鳥居のようにも感じる見た目なおかげか、神社に行った際の神聖な空間に入ったと感じる瞬間と近しいものを感じた。
神社では、神に守られているような感覚があるのと同様に、鼓門を過ぎるとドームに守られる、一種の安心感に近いものを感じた。
写真は鼓門の下から撮ったものだ。
これを見ると言いたいことが少しだけ伝わるかもしれない。
天候や時刻によって表情が変わり、人が大勢集まる場であるにも関わらず安心感のある素晴らしい建築だと思うと同時に、ドームは鉄骨だが、やはり木材の門があることで温かみを感じられる、木材のすばらしさを強く感じた。
イブ・クライン展
『時を超えるイヴ・クラインの想像力ー不確かさと非物質なるもの』
こんにちは、先週は金沢21世紀美術館について軽く紹介・感想を書いた。
今週は金沢21世紀美術館で行われていた企画展の感想を書いていこうと思う。
なお、アートに触れている期間もまだ若い素人目線にはなってしまうため、解釈の違いなどはあると思われるが許して頂けると嬉しい。
写真撮影可能だった展示室の写真。
個人的には空間や芸術に含まれたであろう意味を出来るだけ感じ・考える事に主体を置きたいため、あまり写真を撮るのが好きではない。
今後ブログをするにあたって写真主体にならないように気を付けないといけないと思っている。
この展示空間は、とてもモノクロームが強調されていて楽しかった。
イヴ・クラインは『青のモノクローム』(写真右側)という単色のアートが特に有名なフランスの画家。
IKB(インターナショナル・クライン・ブルー)と呼ばれる顔料を生み出し、使用している。
調べてみると青一色の画像がネットに転がっているが、これは実際に見ないと何もわからないと思う。
ただ単に青で塗りつぶしただけ、と思う人も多いと思う。
ただ、直接見たときの深く吸い込まれるような感覚は忘れられない。
イヴ・クラインは非物質性を追求していたアーティストで青を「空間」、金を「精神」、薔薇色を「生命」だと捉えていたという。
『空虚』という何も展示されていない展覧会を開催し、当時問題にもなったそうだ。
展示の中に、「人体レリーフ」という作品がある。
青色の立体的な人に金色の背景が存在する彫刻作品だ。
これを見たときとても驚いたし、考えさせられた。
イヴ・クラインは「人」という物質的な存在をも「空間」として非物質的に考えていたのだろうか。
そして、精神というものは「人」という空間に外在していると捉えていたのだろうか。
彫刻を見たとき純粋に何故「人」が薔薇色「生命」じゃないのだろうか等と疑問に思ったが、精神は外在し、人という空間、いわば入れ物に入ったり出たりするものなのだと考えていたのではないだろうかと、その場で長い時間考えた。
物質の持つ非物質性を考えるという観点がとても面白いと感じる。
僕たちもしばしば、「モノには魂が宿る」のような、物質に内在する非物質性を考えることはあるだろう、それを究極的に考えたアーティストなのではないかと感じた。
他にも、裸体の女性を壁にくっつけ、そこに色を塗るだとか、自らが空を飛ぶかのような写真を撮るだとか中々ぶっ飛んだことをしていたが、個人的に最も考えさせられたのはこの人体レリーフについてだった。
大体1000文字を超えてしまったためここで終わろうと思う。
きっともっと書くこともあるし、イヴクラインが日本に来た際の事を書いたりときりがないと思う。
でもそうした説明そのものはこのブログの役割ではないと思うから少なくしてる。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
金沢21世紀美術館
金沢21世紀美術館
10月8日~10月10日、金沢旅行に行った。
建築を見ることが大きな目的ではあったけど、久々に会う友達、そして久々の旅行で羽を伸ばした。
そこで、一番の目的だった金沢21世紀美術館の感想を書いていこうと思う。
金沢21世紀美術館では、企画展として『時を超えるイブ・クラインの想像力ー不確かさと非物質なるもの』を2023年3月5日までやっている。
国内では37年ぶりとなる展示らしい。
こちらも来週くらいに感想を綴りたい。
金沢21世紀美術館は、妹島和世と西沢立衛による建築家ユニット「SANNA」によって設計された。
「SANNA」は建築界のノーベル賞といわれる、プリツカー賞を受賞している。
金沢21世紀美術館のコンセプトは「公園のような美術館」
実際に足を運んだ際、街の中にある広い公園の中に佇む金沢21世紀美術館を見たとき、感覚としては確かに美術館に訪れた!という感覚よりも公園に訪れたら美術館があったというような感覚には近かった。(もちろん、目的として行っているため美術館に来たぞ!という気持ちはあったが...)
外観は円形で、高さは低めとなっていて、四角い展示室が突き抜けているように見える。
印象として、美術館は重くなりがちだが、低さと曲面、そしてガラス張りによってとても軽い・柔らかい印象を受け、公園の中にある様々なアートや公園そのものと大きく調和していた。
そして、空間の特徴としては前述通り円形の建築であることと、展示室は円の内部で四角い部屋として置かれていること。
公園内にあるアートに少し触れてから実際に内部に入った。
建築空間を味わうことが一番の目的だったため、美術館を一周してから企画展に向かい、その道中、円形の外周部分から、企画展が構成される直覚的な部分に入った瞬間、曲線から直覚へ移り変わった空間の変化を体感し、とても気持ちよく感じた。
そして、その空間によって企画展に向かっているという感覚が一気に強くなった。
個人的には、金沢21世紀美術館で最も気持ちのいい瞬間だったと思う。
とはいえ、これは写真で見たり、文章を読んでも理解できないものであるので、是非足を運んでもらいたい。
(また、空間を味わうことを最優先にしていたので写真を撮り忘れていた、申し訳ない。)
ちなみに目玉としてよく取り上げられるレアンドロ・エルリッヒのスイミングプールは予約が必要であったため内部に入ることが出来なかった。
上から見ることはでき、軽く雨が降り始めていたため水面にたまに浮かび上がる波紋が味を出していた。
どうやら雨天時は地上部分を閉鎖するようなので、いいタイミングに見ることが出来たと思う。
雨男でよかったかもしれない。
まだまだ書きたい内容はあるけど、1000文字を超えたため一旦今回の記事は終了にします。
もっと読める、逆に長いなどの意見があれば頂けますと参考になるため幸いです。
また、文章も少しカッコつけて論調のようになっているため、気持ち悪かったら意見ください。
来週は企画展で見たイブ・クラインの展示について感想を書ければと思っていますが、最近触れた文芸の紹介もしたいので分かりません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ブログ再開にあたって
ブログ再開
お久しぶりです。
ブログやるやる詐欺王です。
ブログ再開についてお話できればなと思っています。
Twitterをやめて結構経ちますが、情報発信がしたいと思って再開をずっと考えていました。
ただ、ここでなにかしらテーマがないと続かない、続いてもまた自己啓発的な内容ばかりになってしまう、そんなブログになるのが嫌でかなり悩んでおりましたが、ブログの根底のテーマが決まったため、今回再開という方向を選択しました。
肝心のブログのテーマは「アート」です。
僕が触れた・調べたアートの紹介・感想を述べるブログにします。
アートと言っても様々です、それこそ建築はアートなり得ると僕は考えていますし、文芸・映画・絵画、様々あります。
僕の将来の最終的な目標は「アトリエ系設計事務所」です。
言ってしまえばアーティスト的側面が強い職業なので、多様なアートに触れることが大切だと僕は考えています。
ブログはアートに触れるきっかけ(ネタの収集)にもなりますし、なにより感想を記述する、脳内だけに留めておかないのが僕は大事だと思います。
そのため、日々触れたアートはブログのネタとしてストックしますし、無くならないように日々触れていきます。
毎週金曜日19時更新で固定します。
是非皆様読んでいただけると幸いです、また本当に自分が感じたことを記述するので、人によっては浅はかに感じるかもしれませんが、僕にとってのアートは人に想像をさせるものであって、その感じたことに意図はあれど答えはないと思っているため許していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
喫茶店通いのすゝめ
お久しぶりです、くろばです。
長らく放置していたブログを再開します。
今回は『喫茶店通いのすゝめ』です。
私はかれこれ5ヵ月ほど、アルバイトの帰りに喫茶店に通っております。
基本毎週通っていて、たまに週2で行くことも。
さぁ、今回はこの喫茶店に通い始めてからいいことが多すぎるので、皆さんに勧めていこうというブログです。
通い始めてよかったこと
- ・メンタルがめちゃくちゃ回復する
- ・読書習慣化できた
- ・モチベーションが向上する
上記三つについてお話していきます。
1.メンタルがめちゃくちゃ回復する
まずそもそもカフェ・喫茶店はコーヒーもお食事も大変美味しいので非常にメンタルが回復します。
美味しいもの食べたらメンタル回復するよね?しない?します。
さらに、雰囲気がとても落ち着くのでリラックスできて最高です。
ちょうどいいリラックス感なんですよね。
家でリラックスするとどうしても「怠け」に変わってしまうので、自己嫌悪しやすいのですが、カフェや喫茶店だと一切ない、最高!
(自己嫌悪に関しては家でも常に全力で頑張りたい自分の性格上だと思いますが...)
2.読書を習慣化できる。
こんな時くらいはスマホから離れてみませんか?
私はいつも読書をしています、今は著者 稲垣栄洋さんの『花と草の物語手帳105の花言葉とエピソード』という本を読んでいます。
読み終わったらしっかりと紹介したいのですが、草花の花言葉とその草花にまつわる非常に面白い様々なエピソードが書かれています。
先ほど書いた通り、ちょうどいいリラックス感なので非常に読書が捗ります。
テレビやゲームのような誘惑もない。
読書とゆっくりとした飲食に集中できる最高の環境 is 喫茶店です。
読書苦手意識があった私ですが1ヵ月に1冊ペースで読めてます。
家でも読むようになりましたし、並行して読むことが多いので、カフェでだけ読むって決めた本などもありました。
そもそも本を読むことはここで語る必要のないほど有意義なことなので、読書のきっかけにも最高だと思います。
3.モチベーションが向上
メンタル回復に近い内容ですが、モチベーションが向上します。
まず、帰りに喫茶店が待ってるからという理由で仕事・アルバイト・学校などのモチベーションが向上します。
更に、メンタルが回復するので明日も頑張ろう、とも思えます。
モチベーションを毎週いい高さで維持できるのでおすすめです。
以上三つほど書いてみました。
ほんとに通い始めてから調子いいので最高です。
でも疑問が生まれます...
お金は?
通うコストについて
私は110円の缶ジュースですら家計簿につけていて、無駄遣いをした時に酷く落ち込むような人間です。
そのため、一回ふと考えました。
「あれ?もしかしてお金の使い方荒いのでは?」
しかし、冷静に考えた結果ここまでプラスのことがあって、美味しいもの食べれて、週1000円は高くはないと考えました。
私はもう4,5年バイトしているので時給が1000円越していて、最近は1000円=大体バイト1時間分,10000円=バイト10時間分で換算しています。
そのため、1時間働いたお金でここまで満足できるなら一切不満はない、それどころか安いと捉えてもいいんじゃないかと思いました。
これは、一回通ってみて自分の満足度と金額をしっかりと照らし合わせるべきだと思います。
私は満足しているので安いと最終的に捉えています。
ということで、胡散臭いビジネス勧誘みたいな内容になりましたが、私はみんな喫茶店に通おうって内容を書いているだけです。
ぜひ、いい喫茶店・カフェを見つけたら通ってみて下さい、絶対後悔はしません。
それではまたお会いしましょう。