河口湖美術館 『描かれた女たち展』
お久しぶりです。
毎週書くと言っときながら3週間も空いてしまったため反省してます。
実際、書く暇は無かったけど、ネタのストックはたくさんあるので、そういう時に備えていくつか下書きしとくべきだなと後悔してます。
描かれた女たち展
さて、よくある中身のない反省はさておき、今回は河口湖美術館の『描かれた女たち展』について。
女性モチーフの絵画が83点も展示された企画展だ。
今まであまり女性モチーフの絵画には触れてきていませんでしたが、今回触れてみて感じることが色々あった。
そもそも、極端な話女性の裸体を見るというのは普段恥ずかしくて目を逸らしてしまうものだ。(小心者の僕だけかもしれないけれども。)
しかしながら、絵画という芸術を媒介して女性の裸体を見た場合、なんら恥ずかしくないどころか、芸術として受け入れられる。
そもそも、ここで受け入れられるということ自体がとても個人的には面白い。
普段女性をまじまじと見ることはありませんし、いざ見たとしてもきっと思わないであろう芸術的な女性美を見ることが出来た。
森本草介さんの「微唾の時」という写実画が美しかった。
写実こそリアルに寄っているので上記のように目を逸らしそうだけども、やはり芸術として細かい布のしわから何までをまじまじと見れた、そもそも女性をまじまじと見る機会はこういう所でしかないだろうとも思う。
また、メモをし忘れてしまったので作者名や作品名が出せないが、抽象画で、塗り重ねで立体的になっている線のような作品があった。
間違いなく、その抽象画は女性だったが、僕がそれを見て女性と認識したのは曲線的な部分であった。
これはステレオタイプかもしれない、思えば曲線的であったことで何故女性をイメージできるのか、意味が分からない。
何故、女性は曲線的なイメージがあるのだろう、様々考えさせられる作品だった。
他にも、大津英敏の『ひとり』という作品も惹かれる部分が多かった。
母親が奥で寝ており、手前では子供が椅子で一凛の花を持ちながら座っている。
この作品において個人的にポイントだと思うのは、子供が見つめている先が母親ではないところだった。
そして、母親は母親で子供に背を向けて寝ている。
僕はそこに本質的な孤独を感じる。
例えば親が亡くなったとしても愛していたならば墓参りに行くのと同じで、愛しているならば、子供は親を見つめているはずだと思う。
愛の不在こそが真の孤独なのかもしれない。
ただ、一点、そうなると一凛の白い花を持っていたことが気になって仕方ない。
花が分かれば花言葉などでなにかヒントは得れたであろうが、そこまでの学は無かった。
今まで女性絵画に対する興味はほぼ無かったが、やはり何事も触れてみることだと再確認するいいきっかけになった。
また、曲線美的なイラスト以外にも、『ひとり』のような考えさせられる作品や、キュビズムなどもあり、女性絵画のみではあるが様々な分野の絵画に触れることが出来て満足だった。